ライトノベルを、通学・通勤途中の電車内で読む人もいるだろうし、大学の講義中に読む人もいるだろう。もしかすると、仕事中に読んでいるような人もいるだろう。
しかし、電車内では、自分の降りる駅が気になったり、横に座ってる人に気を使ったりする。講義中ならば、試験に出るようなところを聞き逃さないように注意しながら読まなければならない。仕事中ならば、客からクレームがこないように、こっそりと読まなければならない。
つまり、そういった状況だと、物語の世界に集中することは、難しい。
物語の世界に集中する必要はないと言う人もいるだろう。しかし、読むことだけに没頭していた時と、周りに何らかの邪魔があった時とでは、読後感がすこぶる違う、と私は考えている。なぜなら、没頭している時は、比較的容易に、文章を映像化することが可能だからだ。「○○!見えてる!?」とか言いながら、親が一生懸命に、目の前で手を振るんだけど、それに気づかない子供みたいな感じ。軽く、違う世界へ行っちゃってる。この状況にならなければ、物語に、身も心も浸れないと思う。
上の例であげたように、どんな場所でも、容易に、妄想世界へ直行できてしまうような人は、何の問題もない。だが、普通の人であれば、神経質ではなくても、周りが騒々しい状態であれば、妄想世界に行くのは難しい。
つまり、何が、言いたいかといえば、
・本当に楽しみにしていた本であれば、妄想しやすいような環境で読んだ方が良い。
ということである。暇つぶしのために、読むような本であれば、通勤時間に読むのは大いに結構だ。しかし、心から、物語の世界に没頭したいと思うような本であれば、自宅等でゆったりと読むべきである。(自宅が騒々しい人は、耳栓して、トイレに篭るべし)
本は何のために読むべきか?と聞かれたら、人によって、様々な意見が出るだろう。勉強のためとか、ボケを防止するためだとか。だけども、もし、「現実逃避」を目的に読んでいるのならば、現実を忘れられる場所で、ゆっくりと、妄想しつつ読書をするべきではないだろうか。